今回は「学歴」って実際必要なのかどうか、って話をしたいな。
まあ、世の中では「人物重視!」 とか「学歴は関係ない!」 とかいうことも言われているけどね。
僕からすると、学歴はあったほうがいい。
どうも、篠原です。
僕は、学歴そのものには意味がない、って思うんだ。
価値があるのは、「その学歴を手にするためにどんな努力をしたか」ってことなんだ。
なぜ学歴そのものには意味がないのか?
たとえば、慶応大学。
知ってのとおり、超名門難関大学だ。
そして、慶応に受かるには、2通りあるの知ってる?
一つが、慶応大学入試で受かる。
偏差値70位必要だし、とにかく勉強しないと合格は無理。
これは、みんなもよく知っている方法だね。
そしてもう一つ。
「慶応幼稚園」や「慶応小学校」に合格する方法があるんだ。
慶応大学に内部進学できる慶応幼稚園、小学校、中学校、高校に、子供の時に合格して、慶応大学に進学する方法がある。
慶応幼稚園に合格するには、生まれてからどうにかできることはない。「親のカネ」と「親のコネ」、あとは雀の涙ほどの「才能」。
これでどうにかなる。
さて、ここで質問。
「慶応に大学入試で入る」のと、「慶応に幼稚園で入る」のと。
大学卒業後の肩書きってどうなると思う?
そう、「慶応大学卒」で同じなんだ。
そして、もう一個質問。
「慶応に大学入試で入る人」と、「慶応に幼稚園で入る人」。
どっちが、努力してきた人間だと思う?
僕は、圧倒的に「慶応に大学入試で入る人」のほうが、努力していると思う。
「慶応幼稚園からのやつは、二次方程式が解けない」
って慶応大の知り合いが言ってたしね。
まとめると、「同じ学歴」なのに、「違う量の努力」をしているんだ。
そう。
学歴そのものは、意味のない指標なんだ。
では、なぜ勉強して学歴を取りに行くべきなのか?
意味があるのは、「慶応大学に受かりたい」と思って、「じゃあ、何をするべきなんだろう?」と考え、「英語の長文をしよう!」と決意し、挫折しながら、それでも必死に努力して、合格する。
意味があるのは、努力の「過程」なんだ。
なぜかというと、
「努力の練習」はしておく意味があるからだね。
将来、いろんな場面で、「努力」しないといけない場面ってのが出てくる。
「就職」「昇進」「教育」……
新しいことを勉強して、できるようにならないといけない場面ってたくさん出てくる。
その時に、「努力の仕方」がわかっている人は、そういう場面で「正しい努力」ができる。
でも、「努力の仕方」がわかっていない人は、そういう場面で「正しい努力」ができず、そういう「カベ」を越えられない。
結果、高い学歴という、「高い壁」を18歳で越えた人は、
「努力の仕方」が分かっていて、
結果、その後の人生も「正しい努力」ができ、
たくさんの高い壁を超えることができる。
だから、学歴にこだわってほしい。
「学歴」を勝ち取るために、
自分なりの「努力の仕方」を見つけていきながら、
努力することに意味があるんだから。
結論!
学歴そのものには、まったく意味はない!
学歴を取るために、「努力の仕方」を見つけていくことが大事で、
「高い学歴」という「高い壁」を超えることで、
生涯、要所要所で、出てくるカベと戦えるようになる!
だから、学歴にこだわってほしい!
P.S.
ちなみに学歴が低い人が社会的に成功することも多い。けど、社会的に成功した人には高学歴の人も多い。
これは、「努力の仕方」がわかっている人は成功するからだと思うんだよね。
「努力の仕方」を身に着けるには、「野球で甲子園!」でもいいんだけど、学問の神は、スポーツの神と違って、「才能」じゃなく「努力」した者の味方だ。
だから、勉強してほしいんだよね。
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